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2006山スキー NO.9  4月19日〜5月1日
ヨーロッパ・アルプス、オート・ルート 第11日目
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4月29日(土・山は霧、下界は晴)

 今日の行程=ツェルマット9:00−ブリークーチュー
       リッヒ14:00(泊)

 そう言えば昨日の朝、テレビで列車事故のニュースをやっていた。何処かはハッキリしなかった。

 ツェルマットの最後の朝。ホテルでゆっくり朝食を済ませる。ここのホテルは冨士国際お勧めのホテル。なかなか
良かった。
最後までマッターホルンが拝めず非常に残念だった、、、。
 だだ、昨日「爪きり」を借りようと思ったら、「ない。買ってこい」と連れなかった。全体的にはグー。

 ホテルの電気自動車で駅に送って貰う。この運転手、荷物を積むときに「どっこいしょ」なんて言う。愛嬌たっぷり
だった。
 チューリッヒまでカードで買う。こちらの鉄道はカードがOK。窓口にカード差し込み口がある。
 チューリッヒまで約15000円。冨士国際は5000円くらいと言っていたが、情報誤りだ。まあ、4時間くらいかか
るのでそんなもんだろう。

 ここの鉄道は楽しみのひとつだった。ヨーロッパで本格的な鉄道に乗った経験がなかった。
 チューリッヒは終点の中央駅と空港駅がある。間違わないよう購入する。
 電車が出る。山とはこれでサヨナラだ。2〜3日で沿線には春の花が随分増えた。アルプにビッシリ花々が咲き
誇る。ビアを飲みながらノンビリと下る。

 座席の反対側にターバンを巻いたインド人とおぼしき親子がいた。お父さんが盛んに声を掛けてくる。
 聞くとタイで紡績工場を経営していると言う。娘さんはインドに留学と言う。名刺を交換。
 日本に詳しく「忍者・切腹・チャンバラ」とかジェスチャーを交えて話す。どうも時代劇のビデオファンらしい。タイに
来たら是非寄れと言う。
 インド人(タイ在住)の方とは面白かった。頭にあるターバンは毎日巻くのでなく、ピンで止めてあり3〜4日に1回
解いて洗うそうだ。寝る時は脱ぐ。要するに「帽子」である。奥さん、息子さんの写真も見せてくれた。これからスウ
ェーデンの方に行くそうだ。

 電車はツェルマットの支線からチューリッヒに向かう本線に乗り換えなしで入って行く。
 途中に大きなトンネルがあり、出た辺りから平地に向かいグングン下っていく。ループ式になっているので、相当
の標高差がありそうだ。

 車掌が来て「この先で電車を降りてバスに乗り換える」と言う。何故かと思ったら、昨日列車事故があったと言う。
アア、昨朝、テレビでやっていたのはここだったのか。でも、移動日が昨日でなく良かった。乗り換え時、インド人も
「ここだ」と言いにきてくれた。

 バスの乗り換え再び電車の人となる。今度の電車は2階のある豪華なやつ。ただ移動は荷物が多いので大変
だ。向かいでスイス人の若い衆が一杯やりながら騒いでいる。だいぶご機嫌のようだ。我々に盛んにお酒を勧め
る。

 この若い人はテニス仲間で何処かに行って来たようだ。名刺を交換にし随分気に入られ、一番積極的だった若
い人が、自分の赤いシャツを脱いで、どうしてもこれを持って行け言う。困ったがまあ、断るのもかえって失礼だか
ら、貰った。このシャツは今私の家にあります。何ともスイスの方はフレンドリーだ。

 チューリッヒに無事到着。ここも懐かしいところだ。ホテルまで坂で大変。今日は移動が多くすっかり疲れてしまっ
た。
 「ゴ〜・ゴ〜・ゴ〜」。チューリッヒの朝は路面電車の独特な音で明ける。この街を象徴する路面電車は健在だっ
た。6時前から運行し、女性の運転手も見られる。

 チューリッヒの街は美しかった。駅前に大きな川が流れている。両岸に大きな木(プラタナス?)がズッと続いてい
る。駅側に広い公園があって、若い人が寄り添っていた。

 下界に下りて天気が悪く、ここは山より寒かった。私は風邪気味で喉がイガイガして困った。
 夕食を摂りに出かけたが日本料理店は18:00からで、料金はべらぼうに高かった。時間も早いので他を探しに
いく。

 前回は夏で街のあちこちで大道芸をやっていて、それは賑やかだった。今回、4月末ではまだ早かった。
 駅前の昔からの街並みが続く一角に向かう。石畳のいい感じの街で、多くの人々が行き交う。何処の国も同じ
で、若い人は「へそ出しルック」、年配者は「犬連れ」が多い。

 結局、夕食にたどり着いたのは、唯一の「中華料理店」だった。日本人でないが、東洋美人を久し振り?に見て、
何となく故郷に帰ってような気がした。案外安く、西洋人も多く見られた。疲れ気味なので早めにホテルに帰った
が、こちらで最後の夜なので、ホテルのレストランで一杯やった。

 夜、外が随分賑やかだった。後で分かったが「メーデー」の前夜祭で行事があったようだ。日本より意識が強いよ
うだ。

    12日目