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2006山スキー NO.9  4月19日〜5月1日
ヨーロッパ・アルプス、オート・ルート 第8日目
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4月26日(水・霧)

 今日の行程=ヴィネット小屋発6:00−途中までー小屋
       戻るー再出発7:00−アローラ8:45−
       バス10:00−鉄道ーツェルマット16:
       00ころ

 加藤が来るまで明日のからのことをフレッドと打ち合わせする。
 加藤の今の状態では明日は厳しいと言う。なぜなら明日は峠を三つ越えなければならないからだ。
 だから、とにかく一つ目のレベックのコルを越えてみて調子をみようということになった。
 で、ダメならアローラへ下る。調子が良ければそのまま行く。それは了承した。
 とにかく、今日・明日朝は食べて頑張って貰おう。夕食時、加藤は寝ていたが起こして、とにかく少しでも食べさせ
る。鶏肉を食べちょっと、元気が出たみたいだった。

 朝、気温は高く濃い霧が出ている。微妙な天気だ。簡単な朝食で出発。ここの朝はお湯も出ない。お陰でカップラ
ーメンは水で作った。あ〜、旨くない。
 手早くトイレも済ませる。崖の上の垂れ流しのトイレで二つしかないので、混むこと混むこと。電話は国際電話は
ダメ。神田に連絡し、またFAXを入れて貰った。

 6時に出る。濃い霧で1m先が全く見えない。フレッドはドンドン行ってしまう。全く面倒見が悪い。やっと合流して
少し行くが、「無理(霧が深く)」で小屋に戻る。
 しかし、他のパーティーはどんどん出かけ、結局誰も残っていなかった。

 フレッドがアローラに下ると言い出した。こちらは予備日が2日あるので、もう一日ここに留まろうと提案。しかし、
フレッドは「ノン・ノン」
 あと一日でツェルマットに抜けれるのだ。ここで降りることは考えられない。
 ここの小屋が今夜泊まれないと言う。小屋番とおぼしき女将も
泊まらせないと言う。そんな事があるか!?理由は?もハッキリしない。レースはここは全く関係ない。
 それなら最寄の小屋に今夜泊まる手もある。フレッドは何故それを考えない。後で聞いた話では、この後家族と
バカンスの約束があったようだ。
 
 フレッドに「予備日の約束はどうなった」と聞いても「アイ・ドッツ・ノー」だ。要するに旅行会社・神田に聞いていない
のだ。
じゃ〜、予備日とは一体何だ!

 神田に電話するも、フレッドの携帯のバッテリーが上って番号が分からないと言う。馬鹿っやろ〜、それどもお前
はプロか。遭難時はどうする!
 神田の勤務先のスネルスポーツの電話番号では、この時間神田は出ない。 
 その上、今度は小屋が電話が使えなくなったと言う。ったく〜、この小屋はフレッドとグルではないかと疑ってしま
った。

 外は相変わらず濃い霧だ。フレッドは手巻きのタバコを吹かしていた。このタバコなら、紙巻タバコより安上がりで
2週間使えると言う。フレッドも苦労するな〜。ガイドにしては装備も決していいとは言えない。
 離婚をし子供もまだ幼い。金もかかるのだろう。私たちはガイド料を神田に5万円払っているが、フレッドの手当
は3万円だ。5万ならまだ対応が違うかも知れない。

 考えてみればフレッドにいくら抗議してもダメだ。冨士国際旅行会社と神田が何もフォローしていないのだ。
 私はそのことが一番気になったので、事前の打ち合わせで何回も冨士の市村、シャモニの神田に確認した。
 悪天候時は、予備日で連泊し次の日に行動しますと。それでOKと了解されている。完全に契約違反、契約不履
行だ!訴えてやるぞ〜!

 濃い霧の様に私に無力感が漂う。こんなに憧れていた「オート・ルート」が、達成目前でガラガラと崩れ去る感じだ
った。終わった。私の「オート・ルート」は。
 終わりだ、サヨナラだ。小屋からガジガジの斜面をアローラに下る。感傷で全く滑る気がなかった。

 小屋から氷河はまだ雪の状態は良かったが、スキー場へ入るとアーミーがレース用に圧雪してあり、ガジガジで
全くスキーにならない。
 足の筋肉が悲鳴を上げている。気持ちが乗らないつまらないスキーだった。

 スキー場の入り口にはレースの大きな横断幕があった。それを潜って終了。ここで私のオート・ルートは終わっ
た。あっけない幕切れだった。
 周りには、アーミーのテントがいっぱいあった。歩いて10分でバス停に着く。
 バスは10時。時間があるので土産物屋で少し買い物をした。愛想がよくカードもOKだ。野菜があり、加藤がトマ
トを買った。温室もので味は今一だった。

 バスでシオン駅(SION)に向かう。里は花盛りだった。結構、見るところが多く面白い旅だった。途中、村の大き
な岩壁に大きなハーケンとカラビナのモニュメントがあった。登山の村なのだろうか?
 物凄い渓谷の上で、右側通行の谷側で怖かった。バス代は2000円。フレッドはガイド割引で1000円。
 やがて眼下にシオンの街が見えた。シオンには大きな城があった。いわゆるレマン湖のシオン城とは違う
が、、、。時間があれば見学したい所だった。

 シオン駅でフレッドと別れる。彼の電車のが早かった。他のガイドを知らないので比較しようがないが、まあ良くや
ってくれたのだろう。この答えはもう一回来ないと分からない。

 ヴィスプで乗り換え、と言ってもバスだった。てっきり電車の乗り換えと思っていたが。で、ツェルマットに向かう。こ
こも懐かしい電車だった。それにしても車窓の風景は飽きない。

 向かいの老夫婦が英語でいろいろ「解説」してくれる。スイスは日本人にフレンドリーである。いろいろな人がい
て、キャーキャー、ワイワイ実に賑やか。無事ホテルに着いたが、自慢のテラスからマッターホルンは見えなかっ
た。初めての加藤には見せたかったが、、、。それにしても寒い。山より寒かった。
ヴィネット小屋からアローラス
キー場へ下る  
 天気が良くなって来た 
スキー場はガジガジの雪で滑
スベり難いこと滑り難いこと
後ろはピン・ダ・ローラ
こんな好天になった
プロガイドのフレッドは果たして正しい天気予報をしたのか!
アローラスキー場入り口
アローラスキー場バス停
こら〜、笑うな こっちは泣きたいよ! たっく〜!
アローラからシオン駅に着いた。
ここからツェルマットに向かう 
フレッドは反対のシャモニに帰る
彼とは最後にミソをつけてしまった 
 粋イキな車掌シャショウさん  
さらばフレッド
もう二度と会うことはないだろうか?                 終わり
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