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等高線 No.83                   


40年目の蹉跌
後藤隆徳


 6時半、いよいよ浅草岳に向けて出発。頂上まで標高差1060m。ゆっくり歩
いて4時間の行程である。
 「ザックザクザク」久しぶりの雪の感触が心地良い。怪我前なら直登した急斜
面は、やさしく、おとなしくジグザグを切って行く。
 山は無風快晴。陽光に峰々は光り輝き、小鳥たちは朝のさえずりに忙しい。
バッタリ子供カモシカとも、ご対面。
 確かに不安はあった。痛めた右ふくらはぎは、押さえればまだうずくし、腫れも
幾分あった。
 しかし、すでに一ヶ月も山に上っていない。総会ハイクは本部無線係に甘んじ
た。体重の変化はないものの、体全体の筋肉は落ちた様な気がする。山に行け
るものなら、行きたかった。
 ふくらはぎに包帯をグルグル巻いて、更にその上からサポーターでしっかり固
定した。
 そうだ、私は今から丁度一ヶ月・26日前の3月14日、白馬・山の神尾根で山
スキー中、くぼ地に突っ込み、右ふくらはぎを肉離れしたのだ。
               ■                              
 
 怪我当日、テントで起床時、昨日の厳しい山行の疲れはあった。前日は通常
一泊で行う乙妻山を10時間で日帰りした。
 3月ではラッセルこそないものの、代わりに硬い雪の斜面が続き、疲労度は
増した。加えて猛烈な強風が一層、上りを困難なものにさせた。結局、四名で行
ったが、登頂は私だけだった。
 乙妻山から白馬に移動し金山沢を滑る予定だった。しかし、はっきりしない天
候で風が強く、乗鞍岳から上はガスの中だった。
 予定を変更し浜松労山の池田を交え、加藤と三人で山の神尾根に向かった。
 山の神尾根は特に問題はなかった。尾根から栂の森に入り大休止。この日、
初めてゆっくりと休む。
 春の陽光の下、いつもならここでビヤタイムだが、虫が知らせたのだろうか、
何故かこの日は口にしなかった。昨日の疲れと気温上昇で雪の重さが気になっ
たからだ。
 これ以降も快調に飛ばし、乗鞍ゲレンデに続く黒川沢上部に入っていく。雪は
益々重くグズグズだ。左岸をトップで行くと崖の上に出た。左下に降りようと立ち
止まる。ところが、左下はブナの根元が窪地の上、狭い。
考えた。基本的にはここは無理せず、上り返し迂回すべきだろう。私は39年
間・通算1132回の登山人生で怪我らしい怪我はなく、ここまでやってきた。そ
れは私が本来山に対して、「非常に臆病で慎重」だったからだ。
 なのに、私はここで何故か無理に突っ込んだ。一か八かの行動を取った訳で
ある。
               ■              
 ログハウス風の洒落た医院の窓外に午後の逆光を浴びた後立山が連なって
いた。ヒマラヤにも通ったと言う信大出身の初老の医師は、私のふくれ上がった
ふくらはぎを見るなり、「あ〜、こんなもの3日もありゃ〜、すぐ治る」と豪気に言
った。
 でも結局、山を歩けるまでに約一ヶ月を要した。あれは医師のジョークか励ま
しか。今回の怪我の要因を考えた。

@くぼ地を確認しながら無理に突っ込んだ=無理に突っ込んだのは、自信過剰
だった。自信を持っての行動は大事だが、過剰はいけない。常に謙虚であるべ
きだ。
Aめんどうくさがって、上り返さなかった=めんどうだったのは、疲れがあった。
特に前日の10時間行動が原因。連日行動の場合、前日が8時間以上の時は
無理しない。
Bビンディングが開放しなかった=スキーとビンディング(締め具)は今期新調し
た。ビンディングの開放値は購入した秀山荘で調整。
調整の強弱はスキーの経験で決まる。私の場合は、ある程度経験があるので
強めだ。しかし、ビンディングは加重の方向などで、開放しない時もある。

 この一ヶ月で佐野さんが指を骨折、知人が唐松沢で山スキー中、雪崩で亡く
なった。山は常に牙をむいている。事故を防止・回避するのは結局、人間の英
知しかない。更なる研鑽を重ね邁進したい。
【NO.83 2004.04.13】


等高線 40年目の蹉跌

等高線  10年の節目
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